横浜地方裁判所 平成4年(ワ)2372号 判決 1996年6月25日
原告
日本国有鉄道清算事業団
右代表者理事長
西村康雄
右訴訟代理人弁護士
中村勲
右指定代理人
杉山信利
同
福田昭夫
同
伊藤文孝
被告
藍和夫
同
岡本明男
右両名訴訟代理人弁護士
福田護
(ほか三九名)
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第一本件請求
(当事者)
原告は、日本国有鉄道(国鉄という。)の改革(国鉄改革という。)に伴い国鉄から移行した法人である、被告らは、国鉄改革に関連して国鉄が設置した人材活用センター(人活センターという。)に配属されていた国鉄の職員で国鉄労働組合(国労という。)の組合員であり、国鉄からその宿舎の居住の指定を受けて以来宿舎に居住しているが、勤務時間中に管理者に対して暴行をしたことを理由として懲戒免職処分(本件各処分という。)を受けた者である。
(請求)
原告は、国鉄と被告らとの間の宿舎の利用関係は、国鉄公舎基準規程(基準規程という。)に律せられ、同規程一六条には宿舎の明渡事由が定められているところ、被告らに対し懲戒免職処分が発令されたことは、同条一号にいう「職員等でなくなった場合」に、被告らの居住する各宿舎の管理責任者が被告らに対し宿舎明渡通知をなしたことは同条四号にいう「居住不適当と認められた場合」にそれぞれ該当するので、国鉄と被告らとの間の宿舎利用関係は終了し国鉄は被告らに対し宿舎の明渡請求権を有していたところ、右明渡請求権は国鉄改革に際し原告に帰属したと主張して、被告らに対し、各々が居住する各宿舎(被告藍和夫については別紙物件目録記載一の建物、同岡本明男については同目録記載二の建物)の明渡し及び使用料相当の損害金(被告藍については金二四万一四六〇円及び平成四年八月一日から明渡し済みまで月六六九〇円の割合による金員、被告岡本については金六五万〇一八三円及び平成四年八月一日から明渡し済みまで月一万〇〇七〇円の割合による金員)の支払いを求めている。
第二事案の概要
一 争いのない事実及び確実な証拠により明らかに認められる事実
1 当事者
(一) 原告
原告は、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法(改革法という。)に定める国鉄改革の実施に伴い、各旅客鉄道株式会社等の承継法人に承継されない国鉄の資産、債務等を処理するための業務を行うほか、原告の職員のうち再就職を必要とする者の再就職の促進を図るための業務を臨時に行うことを目的として、国鉄から移行した法人である〔改革法一五条、同法附則二項、日本国有鉄道清算事業団法(事業団法という。)附則二条〕。
(二) 被告
(1) 被告藍和夫(藍という。)は、国鉄の東京南鉄道管理局(南局という。)新鶴見機関区(新鶴見機関区という。)の運転検修掛であったが、昭和六一年七月五日付けで同局新鶴見運転区(新鶴見運転区という。)の運転検修掛兼務の発令を受けて同運転区に設置された人材活用センター(新鶴見人活センターという。)の担当に指定され、次いで、同年一一月一日の機構改革で同運転区が廃止されたことに伴い、同日付けで同局横浜貨車区(横浜貨車区という。)の運転検修掛兼務の発令を受けて同貨車区の人活センター(横浜人活センターという。)の担当に指定され、同センターに勤務していたが、昭和六二年二月九日付けで、「昭和六一年一一月一〇日一六時二〇分ころ横浜貨車区旧横浜機関区検修詰所前において勤務時間中管理者の胸部を手の平で数回強く突き、暴力をふるったこと等は職員として著しく不都合な行為である」との理由で、改革法による廃止前の日本国有鉄道法(国鉄法という。)三一条の規定に基づき、懲戒免職処分を受けた(<証拠略>)。
(2) 被告岡本明男(岡本という。)は、国鉄の新鶴見機関区の車両検査掛であったが、昭和六一年七月五日付けで新鶴見運転区の車両検査掛兼務の発令を受けて新鶴見人活センターの担当に指定され、次いで、同年一一月一日付けで横浜貨車区の車両検査掛兼務の発令を受けて横浜人活センターの担当に指定され、同センターに勤務していたが、昭和六二年二月九日付けで、「昭和六一年一一月一〇日一六時二〇分ころ横浜貨車区旧横浜機関区検修詰所前において勤務時間中管理者の顔に唾を飛ばしながら肘で胸部を強く突き暴力をふるったこと等は職員として著しく不都合な行為である」との理由で、国鉄法三一条の規定により、懲戒免職処分を受けた(<証拠略>)。
(3) 国鉄法三一条一項は、職員が「同法又は国鉄の定める業務上の規定に違反した場合」、「職務上の義務に違反し、又は職務を怠った場合」に、総裁はこれに対し懲戒処分として、免職、停職、減給又は戒告の処分をすることができる旨規定し、国鉄の就業規則一〇一条は、「職員に、次の各号の一に該当する行為があった場合は、懲戒を行う。」と定め、「上司の命令に服従しない場合」など、一号から一六号までの懲戒事由を規定するほか、その一七号として「その他著しく不都合な行為のあった場合」と規定し、一〇二条は、懲戒の種類を免職、停職、減給及び戒告とすると規定していた(<証拠略>)。
なお、被告らに対する各懲戒処分通知に記載された各暴行行為(本件各暴行という。)に関しては、藍については公務執行妨害及び横浜人活センター担当助役森貞夫(森助役という。)に対する全治四週間を要する右胸部打撲、右第七肋骨皸裂骨折の傷害を負わせたとの被疑事実で昭和六一年一二月三日逮捕され(<証拠略>)、同月五日右傷害の被疑事実で勾留された(<証拠略>)後、「…森の胸部を平手で数回強く突き、胸倉をつかんで数回前後にゆすり、…もって右森の職務の執行を妨害したものである。」との公務執行妨害罪で同年一二月一九日に起訴された〔傷害罪については不起訴、(証拠略)(横浜地方裁判所昭和六一年(わ)第二八五〇号事件。以下、刑事事件という。)〕。
(4) 被告らは、同年一二月二九日横浜地方裁判所に対し、国鉄を債務者として、被告らに対する右認定の理由に基づく懲戒免職処分の禁止を求める仮処分の申立てをした(同庁昭和六一年(ヨ)第一六二五号事件。仮処分事件という。)。被告らは、国鉄が仮処分事件の係属中に前記の懲戒免職処分をしたため、昭和六二年二月二四日、申立ての趣旨を被告らが国鉄の職員の地位にあることを仮に定め、かつ、賃金の仮払を求める旨の地位保全・賃金仮払の仮処分に改めた。仮処分事件においても本件各処分の理由となった管理者(森助役)に対する本件各暴行の存否が争点となったが、同裁判所は、平成六年二月一日、右事実は認められずこれを理由とする本件各処分はその処分事由を欠き無効であると判断して、賃金仮払の仮処分を認容し、地位保全の仮処分については、任意の履行を期待する仮処分であり、保全の必要性を欠くとして、これを却下する判決を言い渡した。右判決は、平成七年六月三〇日控訴棄却の判決(東京高等裁判所平成六年(ネ)第三四九号)により確定した。(<証拠略>、当裁判所に顕著な事実)
2 原告らの宿舎の占有と国鉄の原告らに対する明渡通知
(一) 国鉄は、別紙物件目録記載一及び二の建物(各々を本件宿舎一、同二という。併せて本件各宿舎という。)を所有していた。国鉄は、基準規程(国鉄の昭和四五年八月二〇日職達第一八号)の規定に基づき、藍は本件宿舎一に、岡本は本件宿舎二に居住させる旨の各指定をし、これに基づいて被告らはそれぞれ本件各宿舎に入居し、現在に至るまで引き続き各宿舎を占有している。
(二) 基準規程一六条は、宿舎に入居している職員等は、職員等でなくなった場合(同条一号)、または局所長において、居住することを不適当と認めた場合(同条四号)は、原則として六〇日以内に宿舎の明け渡しをしなければならない旨定めている(<証拠略>)。
国鉄は、被告らを、1の(二)の(1)、(2)に記載のとおり昭和六二年二月九日付けで懲戒免職処分とし、同月二四日付けで被告らに対し、南局総務部長名で、「公舎基準規程一六条の規定により六〇日以内に所定の手続を経て明け渡しされたい。」と記載された明渡通知書を発した(藍について<証拠略>、岡本について<証拠略>)。
(三) 国鉄改革に際しては、国鉄の資産、債務、その他の権利義務は、その承継に関する承継計画の定めに従い、各承継法人の成立の時において各承継法人に承継されるものとされた(改革法一九条、二一条及び二二条)。そこで、本件各宿舎の所有権は、昭和六二年四月一日の国鉄改革の実施に伴い、国鉄から東日本旅客鉄道株式会社(JRという。)に承継された(改革法五条、<証拠略>)。
原告は、JRとの間で、右同日宿舎利用協定を締結し、原告とJRは、国鉄から承継した宿舎を原告の職員が移行日(国鉄改革実施日)に現に利用している場合には、JRは宿舎一戸単位による貸借関係として原告に当該宿舎の利用を認め(同協定二条)、その利用料金は、昭和六二年三月三一日における当該宿舎の宿舎利用料金と同額とし、原告がJRに対し支払うこと(同協定七条)が約定された(<証拠略>)。
しかし、原告とJRは、平成二年五月三〇日、「東日本旅客鉄道株式会社が所有する社宅及び寮に居住している元日本国有鉄道清算事業団職員等の取扱に関する覚書」を締結し、原告とJRとの間の宿舎の貸借関係を同月三一日をもって合意解約し(同覚書一項)、各宿舎の明渡完了に至るまでの手続き一切を原告の責任において行うこと(同三項)及び明渡完了までの使用料相当損害金は原告がJRに対して支払うこと(同二項)を約した(<証拠略>)。
二 争点
1 被告らに対する明渡事由の存否
(一) 基準規程一六条一号にいう「職員等でなくなった場合」とは、懲戒免職処分の場合、国鉄が当該懲戒免職処分を発令したことで足りるのか。それとも当該懲戒免職処分が処分事由の存する有効なものであることを要するか。
(二) 基準規程一六条四号にいう「局所長において居住することを不適当と認めた場合」とは、局所長がそのように認めて居住者に対し明渡通知をすることで足りるのか。
(三) 右(一)及び(二)において、懲戒免職処分が有効であることまで必要であると解した場合に、被告らに対する本件各処分は、その理由となった被告らによる本件各暴行の事実の存在が認められ、有効であるといえるか。
2 原告の明渡請求権の根拠(原告と国鉄は同一法人格であり、したがって、被告らに対する宿舎の明渡請求権は当然原告に帰属するといえるのか。)。
3 原告の損害金請求の根拠。
三 争点に関する当事者の主張
1 原告の主張
(一) 争点1(明渡事由の存否)について
(1) 基準規程一六条一号の規定の解釈
基準規程によれば、宿舎に居住させる者の指定は局所長が行うものとされ(一四条一項)、居住の指定を受けた者はその通知を受けた日から三〇日以内に居住しなければならないものとされ(同条二項)、その他宿舎使用に関する一定の制限(一五条)等が規定されている。そして、宿舎は国鉄職場に近い場所にあり、かつ、宿舎の使用料金も同一の立地条件にある同程度の構造、規模、設備等を有する民間建物の家賃額に比較して数分の一程度に過ぎないという極めて低廉な金額であったことから、国鉄職員の多くが宿舎への入居を希望する実態にあり、このため、国鉄においては、希望する職員のうちから居住せしめる必要性の程度等を勘案して入居を認める者を指定するため、居住希望職員から勤務箇所、職名、氏名、給額、現住居の内容、宿舎入居予定の家族関係及び申込事由等のほか勤務箇所長の意見を記入した宿舎居住申請書を局所総務部長に提出させ〔東京南鉄道管理局公舎取扱基準規程(取扱規程という。)八条及び別表第九〕、局所総務部長において居住の要否を決定し、居住を指定した職員に対しては公舎居住決定通知書が交付され、誓約書が徴され、宿舎を管理している現場の建築区から宿舎居住者心得が交付されて、職員の宿舎への入居居住が始まる運用がなされていた。つまり、基準規程は、職員として国鉄の業務に現実に従事している職員に対して業務遂行上の必要性ないし福利厚生の観点からの判断として居住指定をする趣旨であって、単に職員としての身分があるから当然に居住が認められるというものではないのであるから、職員が現に国鉄業務に従事していることが当然の前提となってその職員への居住の要否が決せられるべきものである。
国鉄職員であった者が職員としての身分を失う場合としては、就業規則に定める定年に達する定年退職、自らの意思で辞職する依願退職、公共企業体等労働関係法一八条による解雇及び国鉄法三一条による懲戒免職の場合が想定されるが、国鉄においては、これらの身分異動に関してはすべてその身分事項の変動を書面によって明確にして辞令書として交付していたものであり、それら辞令書が発令交付された場合、辞令書の発令が当然に無効であることが明白であるというような場合を別にして、当該被発令者はその発令日をもって国鉄職員としての身分を失ったものとして以後国鉄職員として国鉄の業務に従事させられることはない扱いである。そして、この扱いは、当該被発令者が国鉄による辞令書の発令の効力を争っているか否かにかかわらないものである。
したがって、基準規程一六条一号にいう「職員等でなくなった場合」とは、雇用関係の存否を訴訟物として懲戒免職処分の効力を判断する場合とは異なり、国鉄職員としての身分を失ったか否かの法的判断を予定しているものではなく、国鉄の諸規定に定める手続に基づいて職員としての身分を失うべき措置が執られた段階において、その者は同号の解釈上「職員でなくなった」者と解される。
ゆえに、本件の場合、同号にいう「職員等でなくなった場合」とは被告らに対して本件各処分の発令、辞令書の交付(処分の発令、辞令書の交付を併せて「処分の発令」という。)のときをいうのであって、雇用関係の存否を問題として本件各処分が有効か無効かを判断する場合とは異なるものというべきである。
(2) 基準規程一六条四号の解釈
前項で述べたとおり、基準規程は宿舎の円滑な運営を図るために制定されたものであり、単に国鉄職員としての身分があるから宿舎に居住できるというものではなく、国鉄業務の遂行上の必要性ないし職員の福利厚生の観点からみて、現に国鉄の業務に従事していて居住の必要性の高い者に居住の指定がされるべきことは当然の要請である。このため、宿舎本来の目的に添った運営の円滑化を意図し、単に居住者が基準規程に違反したといった定型的な場合に限られることなく、一旦居住を指定された者でもその後の事情の変化に応じてその者を引き続き居住せしめるか否かについて相当の裁量的判断を局所長に任せたのが、同規程一六条四号である。
そして、正規の手続を経て職員としての身分を喪失する懲戒免職処分が発令された者は、以後、国鉄職員として国鉄業務に従事しないのであるから、かかる場合に当該被処分者を数限りある宿舎への「居住不適当」と判断して宿舎の明け渡しを求める必要のあることは、極めて当然の措置というべきである。
したがって、本件においては、被告らが懲戒免職処分の発令を受けた後、国鉄業務に従事することが全くないことから、本件各宿舎の管理責任者である南局総務部長は、被告らを宿舎に居住せしめることを不適当と認め、昭和六二年四月二四日付けで被告らに対する取扱規程一〇条に基づいた宿舎明渡通知書が作成され、当時の被告らの勤務箇所長を通じて被告らに通知されているのだから、右の認定・通知がなされたことは基準規程一六条四号の事由に該当する。
なお、被告らは右通知の受領を争っており、確かに本件においては当時の現場勤務箇所の責任者において被告らに右通知書を渡すべく努力したが被告らがこの受領を拒んでいた経過が認められるところ、仮に右通知書が受領されていないとしても、右過程において国鉄の右通知書により宿舎の明渡しを求める意思が被告らに知らされていたことは明白であって、基準規程一六条四号による明渡義務の発生を否定することはできない。
(3) 被告らに対する本件各処分が有効か無効か(処分事由となった本件各暴行の事実の存否)。
被告らの勤務時間中であった昭和六一年一一月一〇日午後四時一〇分ころから同日午後五時ころまでの間、横浜貨車区の旧横浜機関区検修詰所前付近から同貨車区助役室(旧機関区区長室)までの同貨車区構内及び助役室において、業務上の指示を行っていた横浜人活センター担当助役の森助役、同堀江勲(堀江助役という)及び同今井健浩(今井助役という。)らの管理者に対し、多数の職員が共同して、こもごも雑言、暴言を浴びせた上、その身体を突き、殴打し、蹴り上げ、押し倒す等の暴行を加えるという出来事(本件出来事という。)があったが、その際、藍は、森助役に対し、その胸部を平手で強く突いたほか、胸ぐらをつかんで揺する等の暴行を加えたものであり、岡本は、森助役に対し、顔を近づけてその顔面に唾をかけ、その胸部を腕組みした肘で突く等の暴行を加えたものである。
原告らの右暴行行為は、次のような経緯を経てなされたものである。すなわち、国鉄の下部組織の改廃により、新鶴見人活センター担当から横浜人活センター担当に指定替えとなった被告らを含めた職員一八名は、同月六日に着任したが、横浜貨車区長加瀬輝久(加瀬区長という。)の指示命令を無視して、待機場所として指定された旧横浜機関区事務室庁舎建物の二階に入らずに、同建物から約八〇メートル離れた位置にある旧横浜機関区検修詰所に入り込んだ。そのため、加瀬区長をはじめとする横浜貨車区の助役等の管理者が指定の場所に移動するよう指示したが、被告らはこれに応じないばかりか、始業時刻の指示に対して異議を述べて騒ぎ立てた。翌七日には、被告らを含めた右一八名及び同日着任した七名の職員が再び右検修詰所に入り込んで、管理者の制止を無視してこれを占拠し、管理者の指定場所への移動の指示にも全く従わないばかりか、管理者の説明、指示に対してもことごとく反発し、大声で罵声を上げ、管理者に暴言を浴びせるという異常な状況で終始した。次の出勤日である同月一〇日も同様の状況であったことから、加瀬区長の指示により助役が回を重ねて被告らに対し、指定場所に移動するように指示したが、被告らは「うるさい。だまれ。」等の罵声を浴びせるだけで、正規の詰所に移動しなかった。このような経過の下で、横浜人活センターの責任者というべき森助役が他の助役とともに、当日の最後的通告を行うべく、被告らの占拠している右検修詰所に赴き、指定場所への移動を通告、指示したところ、被告らをはじめとする多数の職員が同詰所から飛び出して来て、主として森助役を同詰所に連れ込もうとする気勢の下で暴力を加え、それら職員による連れ込みの暴行を避けて助役室に立ち帰ろうとする同助役らに対して前記の各暴行行為が加えられたものである。すなわち、被告らの前記各暴行行為は、単に、他人に対して暴力を振るったという偶発的な事案ではなく、職場の管理者から業務上の命令を受けながらそれに従おうとせず、管理者の指示を無視して被告らの意のままに職場の秩序を運用させようとする被告らの行為に対して、管理者が正当な業務上の指示に従わせようとして命令したのに対して、被告らが主導的に公然とその管理者に集団で暴力行為に及んだものであり、多数の職員を擁して経営の合理化施策、職場規律の厳正施策に取り組んでいた当時の国鉄における職場規律の確保の観点から看過できない極めて悪質な事案であるというべく、被告らの右各暴行行為は、国鉄の就業規則一〇一条一七号所定の「著しく不都合な行為」に該当するものである。
(二) 争点2(原告の明渡請求権の根拠)について
改革法一五条は「国は、日本国有鉄道が承継法人に事業等を引き継いだときは、日本国有鉄道を日本国有鉄道清算事業団に移行させ、承継法人に承継されない資産、債務等を処理するための業務を行わせる…。」と規定し、事業団法附則二条は「日本国有鉄道は、改革法附則第二項の規定の施行の時(昭和六二年四月一日、同法附則第一、二項)において、事業団となるものとする。」と規定していることからも明らかなとおり、昭和六二年四月一日をもって国鉄は原告となったのであり、国鉄と原告は同一法人格である。したがって、国鉄の資産、債務等のうち承継法人に承継されないものは、昭和六二年四月一日以降は、(承継を観念する必要はなく)当然に原告に帰属するものである。
そして、国鉄の資産、債務、その他の権利義務のうち各承継法人(改革法一一条、いわゆるJR各社等)に承継されるものは承継計画に定められるところ(改革法一九条、二一条及び二二条)、JRに対する「日本国有鉄道の事業等の引継並びに権利及び義務の承継に関する実施計画書(承継計画書という。)」において、本件各宿舎の建物は、JRに承継される固定資産として登載されているものの、被告らに対する宿舎の明渡請求権はJRに承継させる資産または権利として登載されていなかった。
ゆえに、国鉄当時において発生した被告らに対する本件各宿舎の明渡請求権は、承継法人に承継されない資産または権利として昭和六二年四月一日以降原告に帰属するものである。
(三) 争点3(原告の損害金請求の根拠)について
原告は、JRとの間で、昭和六二年四月一日宿舎利用協定を締結した。これにより、JRは、国鉄から承継した宿舎を原告の職員が移行日(国鉄改革実施日)に現に利用している場合には、宿舎一戸単位による貸借関係として原告に当該宿舎の利用を認め(同協定二条)、その利用料金は、昭和六二年三月三一日における当該宿舎の宿舎利用料金と同額とし、原告がJRに対し支払うこととした(同協定七条)。被告らが居住する本件各宿舎については、(一)に主張のとおり基準規程一六条による宿舎の明渡事由が生じ被告らに対して明渡しを求める旨の通知がなされていたが、昭和六二年四月一〇日までの間は明渡し履行の猶予期間として被告らの居住が認められる関係にあったことから、本件各宿舎は宿舎利用協定一〇条により原告がJRから賃借した宿舎として扱われた。
しかし、原告とJRは、平成二年五月三〇日覚書を締結し、原告とJRとの間の宿舎の賃貸借関係を同月三一日をもって合意解約し(同覚書一項)、各宿舎の明渡完了に至るまでの手続き一切を原告の責任において行うこと(同三項)及び明渡完了までの使用料相当損害金は原告がJRに対して支払うこと(同二項)を定めた。したがって、原告は同日以降JRに対しその宿舎賃借関係に伴う利用料金として、基準規程によって算出された宿舎使用料相当の利用料金を支払うべき関係にあり(利用協定七条)、原告は、被告らの明渡義務の不履行により、右宿舎使用料相当の損害を被っている。
本件宿舎一の使用料は、昭和六二年四月一日から平成元年三月三一日までは月額六六九〇円、平成元年四月一日から平成三年九月三〇日までは月額六八九〇円(消費税を含む)、平成三年一〇月一日以降は月額六六九〇円であるところ、藍は、宿舎料として、元国鉄関係者に合計一九万〇四七〇円を提供したので、原告は、これを昭和六二年四月一一日から平成四年七月三一日までの使用料相当損害金合計四三万一九三〇円の一部に充当した。
本件宿舎二の使用料は、昭和六二年四月一日から平成元年三月三一日までは月額一万〇〇七〇円、平成元年四月一日から平成三年九月三〇日までは月額一万〇三七二円(消費税を含む)、平成三年一〇月一日以降は月額一万〇〇七〇円である。
2 被告らの主張
(一) 争点1(明渡事由の存否)について
(1) 基準規程一六条一号の解釈
同号にいう「職員等でなくなった場合」とは、文字どおり「法的に職員等でなくなった」ということであって、免職の発令行為自体と同義ではない。仮に免職の発令があったところで、実体的にその免職が無効の場合、例えばそれが裁判で争われ裁判所が雇用契約上の権利関係の存在を確認する場合、判決主文は雇用関係の存続ないし職員としての地位確認となることからも明らかなように、当該被免職者は法的にまぎれもなく職員なのであって、いかなる意味でも「職員でなくなった」などということはできない。したがって、懲戒免職処分が問題となっている本件では、処分事由が存在し本件処分が有効であることを原告が主張立証しない限り、同号に基づく明渡義務は発生しない。
なお、国鉄と被告らの間の宿舎利用関係は基準規程に律されたものであるが、現代日本の法律関係である以上、貸主たる国鉄に恣意的な立ち退き要求をなす権限があるわけではない。これは、宿舎利用が有償であることからも当然であり、無償の貸借関係である使用貸借においてすら、それが使用目的を定めたものである場合、その終了のためには「期間満了」とか「使用目的終了」といった一定の事由を必要とされるのであるし、また、逆に、宿舎利用関係が賃貸借であるとしても、その解約等を考察する際には右宿舎利用が雇用関係の存在を前提とするという点で特別の考慮を必要とするのは当然なのである。原告の基準規程一六条の解釈についての主張は、右のような当然の考慮を無視し、実体的に無効な違法免職ないし恣意的免職を行った使用者の恣意を従業員側は免職の無効にかかわらず甘受し、生活の基礎である住居を奪われて家族と共に路頭に迷わなければならなくなって取り返しのつかない打撃を受けるということに帰結するものであって、およそ現代日本の立法論として成り立ち得ない。
(2) 基準規程一六条四号の解釈
局所長が「居住不適当」を判定する際にも、それが恣意的なものであってはならないのは当然のことであり、賃料不払いとか、近隣に対する迷惑行為を頻発する等の居住に関係する客観的な規範違反が職員側にあることが前提となることは当然である。規範違反以外にも、法的に有効は配転による職場の変更、宿舎の統廃合に伴う転居指示、被告らに比しても宿舎利用の必要性が高い職員の存在等、企業の経営上合理的な理由に基づいて「居住不適当」と認められる場合はあろう(むろんこれらの場合も、労働者の不利益との衡量は必要である。)。しかし、本件においては、規範違反に類するものとしては本件処分の事実以外にない。また、「企業の経営上合理的な理由」としての「現に国鉄の業務に従事できない」ということも、懲戒免職によって原告が被告らをその業務から排除しているだけのことであって、本件処分が有効であることが前提となる。したがって、結局本件においては、「居住不適当」と認定する根拠はすべて本件処分の有効にかかっているのであって、本件処分が無効であるのになお「居住不適当」であるなどといえるはずがない。
これは、仮に宿舎利用の法律関係が賃貸借ではないにせよ、現代日本の法律関係である以上、何の理由もなく、あるいは法的に無効な免職処分を理由として、「局所長」が恣意的に居住不適当と認定した以上宿舎を明け渡さなければならないというのは暴論以外のなにものでもない。
(3) 被告らに対する本件各処分が有効か無効か(処分事由となった各暴行行為の存否)。
原告の主張を否認する。
(二) 争点2(原告の明渡請求権の根拠)について
原告の主張を争う。原告が主張する明渡請求権の根拠は、原告が国鉄から承継したという債権的請求権としての明渡請求権であろうが、これが物件の所有者たるJRと別個に原告に承継されたというためには、国鉄改革法一九及び二一条に基き(ママ)策定された承継計画等についての主張立証が必要だが、本件の原告の主張は、これらを欠くものである。
(三) 争点3(原告の損害金請求の根拠)について
原告の主張を争う。原告とJRとの間で締結された覚書は、原告とJRとを拘束するものにすぎず、原告と被告(ママ)との間の法律関係に影響を及ぼすものではない。
第三争点に対する判断
一 争点1の(一)、(二)(基準規程一六条一及び四号の意義)について
1 以下、同規程一六条一及び四号の趣旨について検討する。
(一) 証拠により認められる事実
(1) 国鉄の「宿舎」とは、職員等(役員及び職員に限る。)及び主としてその収入により生計を維持するものの居住にあてる施設をいう(<証拠略>、基準規程二条一号)。
(2) 公舎業務は局所長(本件各宿舎については、南局長。)が行うものとされていた(基準規程三条、二条六号)。南局は、同局における公舎の管理運営等について規定する取扱規程〔昭和四六年六月東京南管達第一〇二号。(<証拠略>)〕を定めており、これによると、職員が宿舎に入居するためには、各職員の勤務箇所長作成による居住申請書が提出された後、当該職員を宿舎に居住させるかどうか局所長が指定することとされており(取扱規程八条、基準規程一四条一項)、右指定は勤務箇所長を通じて伝えられる(<人証略>)。また、宿舎への居住の指定を受けた者は、通知を受けた日から三〇日以内に居住しなければならない(基準規程一四条二項)し、入居の際には、建築区で当該宿舎の鍵と居住者の心得を記載した書面(<証拠略>)を受け取り、基準規程一六条に該当するに至った場合はすみやかに明け渡す旨等を誓約する誓約書(<証拠略>)を同局の総務部長宛提出することが要求される(<人証略>)。
(3) また、入居者は、宿舎を転貸したり、営業その他居住以外の目的に使用したり、局所長の許可を受けずに宿舎に同居人をおいたり施設を付加したりすることを禁じられる(同規程一五条)。
(4) なお、入居者は、所定の使用料金を支払わねばならない(同規程一七条一項)が、本件各宿舎の場合、その使用料は、昭和六二年二月二四日当時で、横浜市西区所在の本件宿舎一は月額六六九〇円(<証拠略>)、川崎市所在の本件宿舎二は月額一万〇〇七〇円であった(<証拠略>)。また、水道、電気、ガス、公共下水道等の使用料金及び公課等、その他いわゆる共益費は、使用者自身の負担とされる(同規程二四条、二六条)。なお、宿舎のメンテナンスについては、各職員の勤務箇所長を通じて、管理は建築区が、電気設備は電力区がそれぞれ行っていた(<人証略>)。
(5) 宿舎利用関係の終了原因としては、同規程一六条一ないし四号に「職員等でなくなった場合」「死亡した場合」「転勤または転職により、他に居住する場合」「前各号に掲げる場合のほか、局所長において、居住することを不適当と認めた場合」の四つの事由が規定されていた。
(二) 以上の認定事実を前提に、以下基準規程一六条一及び四号の趣旨について検討する。
(1) 国鉄職員の中から宿舎への入居希望者を募り、それらの中から適当な者を国鉄の側で選定して個々に宿舎の貸与契約を締結していたという入居手続((一)の(2)に認定の事実)からみても明らかなとおり、宿舎の貸与は、国鉄とその職員との間の雇用契約の内容となっているものではなく、国鉄は必ず従業員を宿舎に入れなければならない債務を負うものでなければ、国鉄職員も雇用契約上の当然の権利として宿舎の提供を要求し得るものでもない。
そして、一般的に、いわゆる社宅は職員のための福利厚生施設であるといわれるが、国鉄宿舎の場合も、宿舎は国鉄職員等と主としてその収入により生計を維持する者の居住に当てられること、職員等でなくなった場合や死亡した場合を終了事由として規定していること、使用料を徴収しているとはいえ、現今の住宅事情や家賃金額の実情等に照らし、本件各宿舎と同様の立地条件、構造、規模、設備を有する建物を一般市場において賃借する場合の賃料に比べれば明らかに低廉なものであって宿舎利用の対価とは考えにくいこと等の事情((一)の(1)、(4)、(5)に認定の事実)から明らかなとおり、国鉄職員のための福利厚生施設であるということができる。
しかし、社宅なるものが、もともと労働力確保の手段として生まれたものであり、職員の職住を可能な限り接近させて労働力の効率的な使用をはかるという機能も果たすと認められること、社宅非居住職員に対しては住居手当が支給される反面、社宅入居者に対してはこれが支給されないのが一般的であることを考慮すると、現物給付としての性格をもつものということも可能な場合もあると考えられ、単に、社宅が使用者から恩恵的な意味で供与されるものということもできない。
したがって、国鉄職員は、職員としての身分があるからといって当然に宿舎への居住を求める権利があるわけではないが、その反面、国鉄が、恣意的に、宿舎利用関係を終了させたりすることは、宿舎が当該職員及びその家族の生活の本拠とされていること及び当該職員の社会的経済的地位を考慮すると、これを許すべきではない。
以上のような観点から検討すると、宿舎に居住する職員は、宿舎利用関係の終了原因を規定する同規程一六条一ないし四号に該当する場合を除いては、その意に反してその利用関係を終了させられることはないというべきである。そこで、右終了原因のうち、原告主張の同条一号及び四号の趣旨について検討する。
(2) 基準規程一六条一号の趣旨について
まず、基準規程一六条一号についてであるが、「職員等でなくなった場合」を字義どおりに解釈すると、宿舎に入居している職員に対して懲戒免職処分がなされた場合に、当該職員が右処分が無効であると主張して、民事裁判を提起して右処分の効力を争い、その結果右処分を無効とする判決が確定したときは、当該職員は右懲戒免職処分により「職員等でなくなった場合」に該当しないことになる。原告は、国鉄においては、懲戒免職処分の発令により、当該職員はその発令日をもって国鉄職員としての身分を失うのであり、当該職員がその効力を争っているか否かにかかわらないと主張する。しかし、国鉄による職員の懲戒免職処分も、国鉄と当該職員との間に存する労働契約を一方的に終了させる私法上の意思表示にほかならないのであるから、右意思表示が実体的要件を欠くか、又は手続的要件を欠く場合には無効とされる場合があるのであって、その場合においては、懲戒免職の意思表示は、その効力を生ずるに由なきものといわざるを得ないのである。法律効果を生ずるに由なき懲戒免職の意思表示により、当該職員が「職員等でなく」なることはあり得ない。原告は、国鉄の諸規定に定める手続に基づいて職員としての身分を失うべき措置が執られた段階において、当該職員は「職員等でなくなった場合」に当たると解されるとも主張する。しかしながら、国鉄による懲戒免職の意思表示の効力の有無が司法裁判所の審査に服するのは当然のことであり、裁判所が職員に対してなされた懲戒免職処分を無効と判断したときは、国鉄により職員としての身分を失うべき措置が執られているとしても、当該職員が職員としての地位を失う原因がなかったのであるから、「職員等でなく」なることはないのである。「職員等でなくなった場合」を字義どおりに解釈すると、以上のようになる。しかしながら、先にみた国鉄宿舎の設置目的及びその機能に、国鉄職員の宿舎利用に関する法律関係を併せて考慮すると、右のような字義どおりの固定的解釈は、入居者の保護に偏し、国鉄の業務遂行の必要や宿舎の円滑、効率的運営の要請を軽視するものであって相当とはいえない場合がある。逆に、原告の主張するように、当該職員がその効力を訴訟上争っているか否かにかかわらず、懲戒免職処分の発令により「職員等でなくなった場合」に当たると解釈することは、当該職員とその家族が生活の本拠を失う結果をもたらし、訴訟の追行が事実上困難に陥ることが必定であることを考慮すると、これまた相当とはいえない場合もある。以上のように考えると、具体的事案の処理に当たっての「職員等でなくなった場合」の解釈については、国鉄の業務遂行上の必要及び宿舎の円滑、効率的運営の要請と入居者の保護の要請とを調和させつつ、当該具体的事情の下において、一方に偏することのない合理的な解釈を求める必要があるというべきである。しかして、本件訴訟は、被告らは国鉄から基準規程に基づく指定により宿舎(藍につき本件宿舎一、岡本につき本件宿舎二)に居住していたが、国鉄は被告らが懲戒免職処分により国鉄の「職員等でなくなった」ことから被告らに対してその明渡請求権を取得したところ、原告は右明渡請求権を承継したと主張して、原告が被告らに右各宿舎の明渡を求めるものである。したがって、原告は、本件訴訟において、被告らが国鉄の「職員等でなくなった場合」に当たることを立証すべきこととなる。そして、原告は、被告らが国鉄の「職員等でなくなった場合」に当たる理由として、被告らがそれぞれ本件の懲戒免職処分を受けたことを主張しているのであるから、原告主張の被告らに対する本件各処分が被告らの国鉄職員としての地位を失わせる法的効果を生ずるものか否かの判断は不可欠である。以上の観点から本件についてみるに、藍は昭和四一年一〇月一日職員として採用されて以来、岡本は昭和四五年一〇月一日職員として採用されて以来、いずれも本件各処分に至るまで長期にわたり国鉄職員としての安定した地位にあったことが認められる(<証拠略>)上に、前記第二の一の1の(二)の(4)のとおり、被告らが本件各処分に先き立ち、懲戒免職処分の禁止を求める仮処分の申立てをし、本件各処分の理由となった森助役に対する本件各暴行の存否が争点となったが、国鉄はその係属中に被告らに対して本件各処分をしたこと、そのため被告らは、申立ての趣旨を地位保全と賃金仮払を求める趣旨に改め、横浜地方裁判所が国鉄による本件各処分はその処分事由を欠き無効であると判断して賃金仮払を命じる判決を言い渡し、右判決は控訴棄却により確定したことが認められる本件においては、国鉄が諸規定に定める手続に基づいて職員としての身分を失わせる措置を執ったこと、すなわち、原告が被告両名に対し、懲戒免職処分を発令したことのみによっては、被告らが国鉄の「職員等でなくなった場合」に当たるということはできず、併せて本件各処分が実体上及び手続上の要件を具備する有効なものであることをも要すると解するのが相当である。
(3) 基準規程一六条四号の趣旨について
基準規程は宿舎の円滑、効率的な運営を図るために制定されたものであるから、国鉄業務の遂行上の必要性ないし職員の福利厚生の観点からみて、現に国鉄の業務に従事していて居住の必要性の高い職員に居住の指定をすべきことは当然の要請である。宿舎本来の目的に添った運営の円滑化を図るためには、一旦居住を指定された職員でも、その後の事情の変化によっては、引き続き居住させておくことが相当でないこともあるのであって、そのような場合には局所長の相当な裁量的判断により、当該職員の宿舎利用関係を終了させることができるものと解するのが相当であり、基準規程一六条四号が「局所長において、居住することを不適当と認めた場合」に宿舎利用関係を終了させることができる旨定めた趣旨は、そのような裁量判断を局所長に委ねることにあるというべきである。しかしながら、その裁量判断が合理的かつ相当でなければならないことはいうまでもないのであって、その判断が合理性又は相当性を欠き、若しくは恣意的なものである場合には、当該局所長の認定判断とこれに基づく明渡通知は、宿舎利用関係を終了させる効果を生じさせるものではないと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、国鉄の本件各宿舎の管理責任者である南局総務部長は、懲戒免職処分が発令された被告らは、以後国鉄職員として国鉄業務に従事しないことを理由として、被告らを本件宿舎に居住させることを不適当と認め、昭和六二年二月二四日付けで被告らに対する取扱規程一〇条所定の宿舎明渡通知書を作成して、これを被告らに通知する措置をとったことが認められる(<証拠・人証略>)のであるが、南局総務部長が被告らを本件各宿舎に「居住することを不適当と認めた」理由は、被告らが本件各処分を受けて「職員等でなくなった場合」に当たり、国鉄業務に従事することが全くなくなったと判断されたことによるものであることは明らかである。しかしながら、被告らに対する本件各処分がなされただけで、被告らが「職員等でなくなった場合」に当たるといえないことは先に説示したとおりであり、被告らが国鉄業務に従事することが全くなくなったのは、国鉄が本件各処分を前提として被告らの国鉄職員としての地位を否認しているからにほかならない。したがって、本件各処分が実体上及び手続上の要件を具備する有効なものである場合に、はじめて南局総務部長の右の判断が合理的かつ相当であるということができるのであって、そうでない限り、これにより被告らの本件各宿舎の利用関係が終了することはない。
2 以上に述べた基準規程一六条一及び四号の趣旨からすると、本件各処分が処分理由の存在する有効なものであると認められない限り、国鉄の被告らに対する各明渡請求権は発生しておらず、ひいては原告の被告らに対する本件各請求は理由のあるものと認められないことになる(なお、<人証略>の証言中、基準規程一六条一及び四号の解釈に関する部分は、採用の限りではない。)。そこで、以下、本件各処分の有効性について検討する。
二 争点1の(三)(本件各処分が処分理由の存する有効なものかどうか)について
1 証拠により認められる事実
(一) 本件出来事に至る事情
(1) 人活センターの設置
国鉄は、昭和六一年度首の余剰人員が全国で約三万八〇〇〇人に上っており、合理化の推進とともに同年一一月には八万人をはるかに超える余剰人員の発生が予定されているとの認識の下に、この事態をこのまま放置しておくならば、職場の勤務援(ママ)和と規律弛援(ママ)を招いて安全への影響が懸念されるし、経営的にみれば、余剰人員を経営に資する形で効率的に活用していく必要があるとの方針から、国鉄の企業体質の合理化を進め、従前各地方機関ごとに業務推進チーム等の名称で行っていた余剰人員対策を統一的に行い、国鉄の増収、経費節減、新事業分野への進出のための教育等に職員を従事させるためとして、昭和六一年七月一日、全国の総局、管理局の現業機関一〇一〇箇所に、余剰人員を可能な限り集中的に配置し、効率的運用を図る目的で、「人活センター」を設置した。
これに対し国労は、国鉄の分割、民営化に反対する運動を展開し、人活センターに関しても、国労の各支部、分会の役員、活動家と一般組合員とを分離し、国労の役員、活動家を差別的に取り扱い、みせしめとすることによって孤立させ、国鉄の分割、民営化に反対する国労の活動を潰すためのものであると批判して、その廃止を求める運動を行い、個々の組合員に対しても、分割、民営化反対、人活センター廃止要求等の運動を職場闘争という形で日常の職場で実践するよう指導していた。(<証拠略>)
(2) 新鶴見人活センターの状況
以上の背景の下で新鶴見人活センターが設置され、被告らは同人活センター兼務の発令を受けた(以下、新鶴見人活センターまたは横浜人活センターへの兼務発令を受けた者を兼務職員という。)。
同人活センターの兼務職員は、AないしFの班に分けられた。A班は貨車等の解体作業に従事し、D班は車種転換教育、E班は玉掛け、クレーン、ボイラー等の特殊技能資格取得教育、F班はパソコン教育をそれぞれ受けることになったが、B、C班配属となった被告らは、新鶴見操車場の草刈りや、不要品撤去、焼却等の環境整備、廃車になった貨車から外された「日本国有鉄道」の銘板をワイヤーブラシで磨いて商品化する銘板製作の業務に従事することとなった。これらの作業は、本来の鉄道業務ではなく、運転士には乗務にかかる諸手当が支給されなくなり、ほとんどの兼務職員が減収となった。また、兼務職員らの控室は、昭和五九年二月以降使用されていなかった部屋で、雨もりがしたりするもので、労働環境は良くなかった。(<証拠略>)
被告らを含む兼務職員らは、こうした国鉄当局の処遇を収容所型人活センターであるとして、これに抗議し、現場管理者の指示、命令にしばしば反発し、また、余剰人員として特定化されることを懸念して原職への復帰を要求するほか、「首切りセンター」と題する職場新聞を毎日発行・配布する等して国鉄の分割、民営化反対や人活センター廃止要求等の宣伝活動を行っていた。(<証拠略>)
(3) 横浜人活センターにおける、本件出来事に至るまでの状況
昭和六一年一〇月三一日新鶴見運転区及び横浜機関区は廃止され、新鶴見人活センターの兼務職員のうち被告らを含むB、C班所属の二二名と横浜機関区に勤務していた三名の合計二五名が同年一一月一日付けで横浜貨車区(旧横浜機関区)構内の横浜人活センターへの異動を命ぜられ、同月六日一六時二五分ころ、旧新鶴見人活センター所属の二二名のうちの被告らを含む一八名が横浜人活センターに着任した。国鉄当局は兼務職員の着任前に同センターの周りを有刺鉄線で囲い、正門も施錠できるようにし、兼務職員らの控室を、一階が管理者の執務室になっている事務棟の二階の旧指導訓練室(指定詰所という。)に指定し、ロッカーを運び込むなどして準備していた。また、助役らのうち、同年一〇月三一日まで横浜機関区長をしていた森助役を同センターの総括責任者とし、堀江、今井、磯崎昭寿(磯崎助役という。)ら各助役をその補助とすることにした。
そして、同センターでも、兼務職員に与えられた仕事は、銘板磨き、文鎮作り、廃材燃やしや部屋の塗り替えといった環境設備等であり、しかも、同日の段階では、作業ダイヤも定まっていない状態であった。(<証拠略>)
指定詰所は、コンクリートで囲まれた北向きで陽当たりの悪い部屋で、兼務職員二五名に対し床面積は四六・五七平方メートルしかなく、新鶴見人活センターの詰所(約一三五平方メートル)に比べるとかなり狭いものであった。また、指定詰所脇のロッカー室は、床面積一四・一平方メートル(一人当たり約〇・五六平方メートル)しかなく、ロッカーもさびの出た古いものであった。また、旧横浜機関区の廃止に伴い、通常国鉄の職場には備え付けられていた風呂も使えなくなっていた。(<証拠略>)
着任した直後に、加瀬区長からこの指定詰所に入るよう指示された兼務職員らは、もともと余剰人員として特定されたとしてこの異動に不満であった上に、指定詰所が右のような状態であったことから、ここは北向きで、寒く、臭く、狭いなどと言って加瀬区長の指示に従わず、同構内の事務棟とは別棟の、旧横浜機関区の検修詰所(旧検修詰所という。)に勝手に入った。なお、旧検修詰所の床免責は九二・七平方メートルで、指定詰所の約二倍弱の広さであった。(<証拠略>)
これに対し、加瀬区長及び助役らの管理者は、旧検修詰所まで行って、右兼務職員らに対し、指定詰所に移動すべきこと及び翌日以降の始業時刻を午前八時二〇分とすることを通告した。なお、国鉄職員の始業時刻は原則として午前八時三〇分であり、業務上の都合や通勤事情等によりこれを変更できるとされていたもので、新鶴見人活センターにおいては原則どおり午前八時三〇分とされていたが、横浜人活センターのある横浜貨車区においては正規の手続に従って午前八時二〇分と定められていた(なお、旧横浜機関区においては、午前八時二五分と定められていた。)。(<証拠略>)
兼務職員らは指定詰所に移動しないまま旧検修詰所に居すわり、加瀬区長による始業時刻の通告を一方的であるとしてこれに激しく抗議し、この抗議を受けて同区長が翌日だけは午前八時三〇分でよい旨告げたので兼務職員らは静まったが、森助役はこれに反対の旨、同区長に進言した上、「午前八時二〇分の決まりを守らなければ否認(欠勤扱にして賃金カットをするという趣旨)にすればよい。」等と言ったので、兼務職員らは「お前は区長に指示するのか。」等と言って再び抗議を始めた。この日は結局、加瀬区長が翌日の始業時刻は午前八時三〇分でよいと言ったことで収まった。翌日も助役らと同日着任した四名を含む兼務職員を含めた兼務職員らとの間でこうした通告とこれに対する抗議が終日続けられた。すなわち、翌七日午前八時三〇分ころ被告らを含む兼務職員らが事務棟前に集合したが、いずれも私服のままであった。そのため、加瀬区長は、点呼には制服を着用して集合するようにと指示したが、兼務職員らは、「俺たちは来たくてここへ来たわけではない。」等と言いながら旧検修詰所に入った。管理者らは、旧検修詰所に行って、兼務職員らに対し、制服を着用して点呼場所の事務棟前に集合するように指示したが、兼務職員らはこれに従わなかった。そこで、管理者らが数次にわたり、集合しないときは否認とする旨通告したところ、兼務職員らはようやくこれに応じ、午前一一時四五分ころ事務棟前で点呼を終了した。管理者らは、昼休み終了後の午後〇時四五分から、被告らを含む兼務職員らを指定詰所に集合させ、横浜貨車区での始業、終業時刻及び休憩時間等の事項を説明したが、兼務職員らは、八時二〇分の始業時刻は認めない等といって騒ぎだし、午後一時四〇分すぎころ全員がそのまま旧検修詰所に引き上げ、終業時刻までに同所に居すわりつづけた。なお、同日は、午後二時二五分ころ兼務職員四名が新たに着任したが、既に着任していた兼務職員と同様、指示された指定詰所には入らず、旧検修詰所に入った。国鉄当局は、南局の職員や鉄道公安官を待機させて不測の事態に備えていた。(<証拠略>)
同月八日及び九日は勤務を要しない日であった。しかし、森助役らは集って、兼務職員らへの対応策を協議していた(<証拠略>)。
同月一〇日も被告らを含む兼務職員らは始業時刻の午前八時二〇分までに点呼場所へ集合しなかったものの、ひとまず点呼を終えたが、指定詰所への移動をしなかったので、管理者らは「午前九時一五分までに指定詰所へ集合しなければ否認(遅参)にする。」旨通告した。兼務職員らが午前九時三〇分過ぎに指定詰所に集合したので、加瀬区長において一五分の否認を通告した上、萩原恒夫主席助役(萩原主席という。)が勤務予定表、班別氏名一覧表、兼務職員の名簿、作業ダイヤ等を配布して作業ダイヤについて説明した。兼務職員らは、始業時刻が午前八時二〇分であることの根拠を示すよう詰問し、これに対して加瀬区長や萩原首(ママ)席が応答したが、兼務職員らは説明を聞こうという態度ではなく、激しい抗議を続けていた。そのやり取りの最中に森助役が説明を打ち切る旨発言したところ、これに怒った兼務職員らが「区長や首(ママ)席の発言中に打ち切るとは何だ。」「森、何だ、その態度は。」等と言葉を極めて同助役にくってかかる場面もあった。兼務職員らはその説明が終わると、正午までその場で待機するようにとの指示を無視して、旧検修詰所へ戻ってしまい、午後の就業開始時刻である午後〇時四五分になっても指定詰所に集合しなかった。加瀬区長は、当日の午後から南局の会議に出席のため留守にすることから、助役らに対し、今日中に何回でも通告し、業務命令を出して対処するよう指示した。そこで、萩原主席をはじめとする助役らは、再三検修詰所へ行って始業時刻と指定詰所への移動を通告し、また、要望に応じて横浜貨車区構内を一巡させたりもしたが、兼務職員らは雑談をしたりテレビを見たりし、中には寝そべっている者もいて、これを無視していた。(<証拠略>)
(二) 本件出来事の際の状況
同日午後四時一〇分ころ、萩原首(ママ)席、森、今井、堀江、磯崎の各助役ら五名は、指定詰所への移動を通告するため旧検修詰所に赴き、森助役が兼務職員らに対し、指定詰所へ移るよう通告した。ちょうどその時、藍は他の兼務職員らに対し、始業時刻や詰所に関する申入れの法的根拠等について説明していたところであった。同助役が通告を終えて同所を立ち去ろうとしたところ、藍、続いて岡本が旧検修詰所から出て行き、藍が小走りに同助役を追い掛けて、「話があるんだよ。」と言ったが同助役がなおも立ち去ろうとしたので藍は同助役の右腕に腕をさしいれたところ、同助役はこれを拒み、同助役らが、「暴力行為だ。」等と言ったので、小競り合い状態になった。旧検修詰所内からは、被告らの後から十数名の他の兼務職員らも飛び出してきていた。その最中、今井助役は杉谷茂から横浜人活センターの正門の鍵のありかを尋ねられ、これを捜すためにその場を離れた(<証拠略>)。
右小競り合いは、森助役のバンドのバックルがはずれたことをきっかけにいったん静まった(<証拠略>)。兼務職員らは「モリさん、太り過ぎているんだよ、バンドがね、短けえんだ、な。」とか「もっといいバンド買ってもらいな。」といった冷やかすような発言をして笑い声が起こり(<証拠略>、これらは<証拠略>により兼務職員らの発言であると認められる。)、藍が同助役のバックルを拾って、中腰で前かがみになり、同助役の着衣についたままのバンドにバックルをつけてやり、同助役は自分でバンドを締め直した(<証拠略>)。
同助役がバンドを締め直した後、藍らが再び同助役に対して助役らの命令の根拠等について尋ねたところ、同助役は、管理権に基く(ママ)こと、助役らは指定詰所への移動命令を発しうるのであり、兼務職員らはこれに従うという命令と服従の関係であること等を答えたので、藍らは命令の法的根拠を言えと迫り、同助役が就業規則二七条ないし二九条であると答えると、更にその条文の内容を言うよう激しく迫ったので、同助役は「そういう形で答える必要はない。」と返答して助役執務室の方へ歩き出した。そこで、兼務職員らもそれに伴って助役執務室へ向かった。なお、前述の同助役のバンドをめぐるやりとり以後は、同助役に対する何らかの有形力が行使されたことはなかった(<証拠略>)。(以上<証拠略>)。
(三) 本件出来事後の経過
(1) 森助役は、本件出来事の当日及び翌一一日は医師の診察を受けることもなく、一一日には平常どおり勤務し、跳躍や首の回転を含む国鉄体操をした後、南局の職員や鉄道公安官を含めて兼務職員対策を協議した。その際、前日の兼務職員らの行動が問題視され、今井、堀江両助役は加瀬区長から鉄道嘱託医の診察を受けるよう指示されたが、森助役についてはその指示はなく、同助役からの申出もなかった。今井、堀江両助役は、その時には自覚症状はなかったが、鉄道嘱託医の診察を受け、堀江助役については三日間の経過観察を要する顔面、後頭部打撲、今井助役については、三日間の治療を要する頸椎捻挫の診断を受け、それぞれ同日その旨記載された診断書を南局に提出した。しかし、右診断は同助役らの主訴を基礎とするもので、他覚的所見としては何らの異常も認められなかった。(<証拠略>)
(2) 森助役は、本件出来事の翌々日である同月一二日に初めて、自宅近くの岩波胃腸科外科医院(岩波医院という。)で医師岩波英雄(岩波医師という。)の診察を受け、同医師作成の右第七肋骨皸裂骨折の傷害を負っている旨記載された診断書を得てこれを南局に提出した。もっとも、右診断書の記載は、後記2の(二)に検討するとおり、レントゲン所見以外の他覚的症状を伴わない同助役の主訴に基い(ママ)てなされたものにすぎなかった。(<証拠略>)
(3) 国鉄における業務災害補償制度による業務上災害認定の手続は、被災者あるいは他の職員が災害事故の発生を勤務箇所長に報告し、箇所長は、その災害が業務に起因するものと認められたときは、すみやかに鉄道嘱託医で療養を受けさせるとともに被災者名や災害の状況等を局長に報告し、業務上災害認定申請書等の書類を局長に提出して、その認定を受けるというものであった。なお、鉄道嘱託医とは、通院の便宜等を配慮して鉄道嘱託医基準規程で職場の近くに存在する医療機関を指定しているもので、業務上災害認定申請には、緊急その他やむを得ない場合を除いては鉄道嘱託医の診断が必要とされていた。(<証拠・人証略>)
森助役の場合は、同日朝いったん出勤して国鉄体操をした後、勤務時間中に加瀬区長の許可を得て日勤扱いで外出し、職場の近くの鉄道嘱託医の診断を受けず、わざわざ自宅近くまで戻り、鉄道嘱託医ではない岩波医院で受診してその診断を受け、後日業務上災害の認定を受けた(<証拠・人証略>)。
(4) そして、同日午後、森助役、堀江助役及び今井助役は南局に呼ばれ、被告らを告訴するよう指示を受け、同月一四日、森は、被告らを告訴した(<証拠略>)。
2 なお、本件訴訟において、被告らは暴行の事実を否認し、被告ら及び他の兼務職員らの供述を内容とする証拠はすべて被告らの主張にそうものであるのに対し(<証拠略>)、原告は、被告らが各処分事由記載の本件各暴行を行ったと主張し、森助役ら各助役が作成した現認報告書(<証拠略>)、森、堀江、今井各助役の陳述書、仮処分事件及び刑事事件における証言調書(森助役について<証拠略>、堀江助役について<証拠略>、今井助役について<証拠略>)といった原告の右主張にそう証拠も存在し、また、堀江助役が本件当日現場で録音していたという録音テープ(本件テープという。)の反訳書(<証拠略>)が存在する。
これらはいずれも供述を内容とする証拠であって(なお、これらの供述を内容とする証拠を一括して「供述」という。)、その信用性等について十分な検討が必要とされるところ、堀江助役の供述は被告らによる原告主張の本件各暴行について何ら具体的に述べておらず、兼務職員らが森助役を中心にもみ合っているような感じを受けたが、同助役がどのようなことをされたかわからない(<証拠略>)というのであり、今井助役も本件出来事の最中に正門の鍵を捜しに行って現場から離れていたため具体的な暴行は現認していないのであり〔1の(二)に認定の事実。しかも、同助役が現場にいた時には、森助役に対して暴行がなされる状況ではないと判断した旨供述している(<証拠略>)。〕、磯崎助役も具体的な暴行については何ら述べていない(<証拠略>)。また、萩原首(ママ)席の現認報告書には藍による具体的な暴行の事実の記載がなされているものの(<証拠略>)、堀江助役らの供述から認められる萩原首(ママ)席と森助役の位置関係からいって、はたして萩原首(ママ)席自身が現認した事実を正確に記載したものであるかどうかの疑問を払拭することができない。
したがって、結局、原告の主張を支える主な証拠としては森助役の供述をおいてほかになく、これと本件テープの反訳書(<証拠略>)が問題であるが、これらを他の供述と照らし合わせつつ子細に検討すれば、以下述べるとおり、原告の主張事実を認めるに足りるものではない。
(一) 本件テープについて
(1) (証拠略)のような現場録音テープの録音内容を反訳した書面を証拠として用いる場合、当該録音テープの録音者、録音目的、録音状況、録音後の保管状況等を考慮しつつ、その録音内容からどのような事実が読みとれるかを十分吟味しなければならないことはいうまでもない。
本件テープは、堀江助役が、その着衣(国鉄の制服)のズボンの右脇ポケットに入れた録音機(マイクロカセットテープレコーダー)の内蔵マイクで録音されたものである(<証拠略>)。この録音機は、同助役個人のものではなく、国鉄の備品であり、同助役が新鶴見人活センターの担当の助役になったころ上司から渡され、その指示を受けて、主として兼務職員らに通告する際等のトラブルの状況を録音していたものである。したがって、その録音は、同助役の自発的な意思に基く(ママ)ものではなく、人活センター発足後の国鉄の労務対策としての側面が強い。また、加瀬区長をはじめ萩原(ママ)首席、森、磯崎の各助役も、堀江助役が本件出来事に至る一連のトラブルの状況を録音していることを知っていた(<証拠略>)。なお、昭和六一年一一月一〇日の午後四時一〇分ころ以降の状況は本件テープのB面に録音されているが、そのA面には本件事件時以外の通告時のトラブルの状況を録音したと思われる部分のほかに、「…ここに一応隠れてもらってね、(笑い声)それで、何かあったときには、すぐに、とび出してもらう。そういう形で、むしろ、あの、やられる部分の現認をしてもらうように、うちは仕向けますから、ちゃんとね。そういう形でいこうと思いますけれども…。どうですか。」「じゃ、きょうのところは、繰り返し、業務指示に従いなさいと言っておいて、何か事象があったら、寄ってたかって、みんなで現認すると、こういうことですね。」「むしろ、うちのほうは、隠れていてね、やつらにやらせるようにしますから、その中で、今度、決定的なやつをね、…」「ぼくは、あの、まあ、ワアワアやったところでね、現認してもらえばいいですから、それでけっこうです。」「…業務指示、…じゃなくて、その、作業ダイヤを、まだ、説明してないという話が、大分出ているわけですね。」「…それ、もういっかいだけ、やるというのは、どうですか。」「…いや、だけどね。うちのほうは、基本的には、向こうへ、まず、移ってからやりますよ、それ…、ということですから、基本的には、部屋は向こうじゃないんですから。」「…それを、こっちで言うということは、/ある意味で、やつらを認めたという形になりますので、うちのほう、移ってからでないと、やらないということで…、」という内容の助役らと南局の職員との打ち合わせの模様も録音されている(<証拠略>)。
(2) 本件テープには、B面の途中から本件出来事の様子が録音されているが、その部分は、(証拠略)の一三四ページから一八四ページ六行目までであると認められる〔(証拠略)。なお、右(証拠略)には、一三三ページの「向こうの部屋へ移りなさい。」という発言以下が本件出来事を録音した部分である旨の堀江助役の証言記載部分があるが、オッシログラフを使用したエレクトロニクスの手法に基づく音声波形の波形観法と聴取を併用することにより、同ページの「話があるんだよ」という発言の後に不連続と「三六分だね。」という発言が聞き取れるというのである(<証拠略>)から、同助役の右供述は採用できない。〕
そして、その内容を大別すると、「こっちへ来なさいよ。」といった発言に始まり「やめなさい。」「はいれよ。」「暴力行為だ。」「暴力行為とは何だ。はいれ。」「話があるんだ。」等の発言が繰り返される場面(第一場面という。)、「何しに来たんだよ。」「話がある。」「通告に来たんだからさ。」「何が通告だ。」「やめなさい。」「通告とは何だ、お前、え?」「何よ。」「通告とは何だ。」「やめなさい。」「やめろ。」「やめなさいって言うのに。」から「通告とは何だ。」「藍さん、やめろ。」「話があるんだから。」「危ねえ。」「やめろよ。」「危ない危ない‥、危ない。」「やめろ。」「危ない危ない・」と展開する場面(第二場面という。)、「バンド切っちゃったよ。」との発言に始まりバンドについてのやりとりがなされる場面(バンド事件という。)、命令と服従、命令の根拠等を問題とするやりとりがなされた後、再び「暴力…。」といった発言が出てくる場面に分かれ、その後助役室への移動を示唆する発言が続いた後、助役執務室での場面に移っている。
(3) 堀江助役(<証拠略>)、今井助役(<証拠略>)、森助役(<証拠略>)の刑事事件における各証言(刑事証言という。)は、森助役に対する本件各暴行は同助役のバンドをめぐるやりとりの前に行われたものであって、バンドをめぐるやりとりの後は静かになり、兼務職員らが激しく抗議し、あるいは問い詰めたことはあっても具体的な暴行行為はなかったということで一致している。
そして、堀江助役及び森助役の各刑事証言によれば、バンドをめぐるやりとりは二回あったのであり、堀江助役によれば、一回目は(証拠略)の一三九ページの「バンド切っちゃったよ。」で始まる場面で、二回目は一七八ページ一〇行目の「関係ないんだよ。‥関係ないんだよ。」という場面で、これは「バンドなんだよ。バンドなんだよ。」と兼務職員が言っていた場面なのであって、一回目は森助役のバンドが緩んでワイシャツが脱げかけたのでバンドを直した場面であり、二回目はバンドが切れた場面であるという(<証拠略>)。
しかし、バンドをめぐるやりとりは二回あったという証言は平成二年九月五日の刑事事件の公判廷において初めて出たものであってそれに先立つ捜査段階では一度も出ておらず、結局堀江助役は一回目も二回目もバンドがはずれた状態等については見ていないのでわからない旨述べていること(<証拠略>)、本件テープにはバンドをめぐるやりとりは前述のバンド事件以外には録音されていないこと、同助役は一七八ページの「関係ないんだよ。」という発言は「バンドなんだよ。」という発言だというが、バンドが緩んだだけであるという一回目の場面で「バンド切っちゃったよ。」「バンド壊しちゃったよ。」等とバンドをめぐるやりとりが続いているのに比べ、バンドが切れたという二回目の場面では「バンドなんだよ、バンドなんだよ。」という発言のみであるというのはいかにも不自然であること等からみて、同助役らの右刑事証言は信用の限りではなく、バンドをめぐるやりとりは前記バンド事件の一回のみであったと認められる。
したがって、被告らによる暴行があった可能性のある場面は、本件テープでいえばバンド事件の前の「やめなさい。」「はいれよ。」「暴力行為だ。」といったやりとりが繰返される第一場面(<証拠略>の一三四ページから一三六ページまでの部分)と、「何しに来たんだよ。」「通告に来たんだからさ。」で始まり「やめろ。」「危ない危ない。」までの展開する第二場面(同じく一三七ページから一三八ページまでの部分)であるといえる。
そして、確かに第一場面及び第二場面が録音された部分には「暴力行為だ。」とか「藍さんやめろ。」といった発言が録音されているが、「暴力行為。」といった発言が録音されているからといって、また、文章的には「何が通告だ。」「何が通告だ、お前。え?」「やめなさい。」といった緊迫した状況を窺わせるに足りる内容の発言が録音されているからといって、これらから直ちに被告らの本件暴行があったと即断することはできないのであって、堀江助役、今井助役の各刑事証言をはじめとする各供述(森助役の供述については後述。)は、前記(1)に認定した事実から窺える本件テープ録音の目的及び本件テープA面に録音されている助役らと南局の職員との打ち合わせの内容に照らし、これをそのとおりに信用するにはなお疑問が残るところであり、したがって、各供述を右録音内容に併せて検討しても、原告主張の本件各暴行があったと認定するには十分とはいえず、更に慎重な検討が必要といわざるを得ない。
(4) そこで、本件テープの録音内容を子細に検討するに、原告は、助役執務室に戻ろうとした森助役を藍や岡本らが旧検修詰所内に連れ込もうとして小競り合いになり、その中で岡本が同助役の胸部を突く暴行を加えたと主張し、堀江助役の「藍らと私達の間で、もみ合いになりました。次に私は森助役が引っ張り込まれないようにするため森助役の腰付近を両手で抱え込むようにして転車台のほうに引っ張った。」「清水が私の後ろから、私の両脇に両手を入れてきて私をはがい締めにし後ろに一、二メートル引きずりましたので、私はもがいて逃れました。」等の右主張にそう刑事証言もある(<証拠略>)。
しかし、もし堀江助役がその供述どおりの行動をしていたのならば、同助役がその制服のズボンの右脇ポケットに入れて録音していたと認められる本件テープに衣擦れ音、音揺れ等が録音されているはずであるのに、本件テープの該当箇所にはそのような音は録音されていないのであるから(<証拠略>)、同助役の右証言をそのとおりに信用することはできず、堀江供述にいうような状況があったと認めるのは困難である。
しかも、同助役は、その供述及び本件テープから推測される同助役と森助役の位置関係からいって(<証拠略>)、被告らによる暴行がなされたという時点では森助役のすぐそばにいたと認められるのに、原告主張の被告らによる暴行について何ら具体的な供述ができていない〔兼務職員らが森助役に身体を接触させていたのは見ているが、具体的にどういうことをしたかははっきりわからない旨、誰かが森助役を具体的に突いたという場面ははっきり見ていない旨述べるにすぎない(<証拠略>)。〕というのも、はなはだ疑問である。
また、兼務職員らによる暴行の最中にバンドが切れ、それをきっかけに小競り合いが静まったにしては、バンドに関する森助役の発言が一切なく(<証拠略>)、一方、兼務職員らは「モリさん、太りすぎているんだよ。バンドがね、短けえんだ。」とか、「もっといいバンド買ってもらいな。」といった冷やかすような発言をして笑い声が起こったり、藍が同助役のベルトのバックルを拾い、ベルトが同助役の着衣についたままの状態でバックルを直した(1の(二)に認定の事実)というのは、原告主張の被告らによる暴行がなされた直後の成り行きとしては、いかにも不自然である。
さらに、(証拠略)の一三五ページ二行目から一四〇ページ五行目の部分(第一場面の途中からバンド事件直後までの部分)では、録音されている衣擦れ音や足音から、録音者である堀江助役が平均して三〇秒に一四、五歩程度の大きく乱れることのない一定のテンポで歩いており、森助役も堀江助役と少し離れて同助役とほぼ同じベースで歩いていると認められること(<証拠略>)から推認される具体的状況は、兼務職員らとのもみ合いの中で、堀江助役が森助役を助けるために同助役を引っ張ったり兼務職員らを転車台のほうへ押したりといった原告の主張する状況と符合しない。
その上、森助役は、その供述によれば被告らの暴行により全治四週間に及ぶ右胸部打撲及び右第七肋骨骨折の傷害を負い、これを理由として告訴に及んだというのであるから、仮に、そのような重い傷害を受ける暴行があったのであれば、その場で痛みを訴えたり暴行に対する抗議をしたりするといった何らかの反応を示すのが通常であると考えられるのに、そのような発言を示す内容も全く録音されていない。
(5) 以上、本件テープ作成の目的や背景事情、テープの録音内容から認められる状況に前掲各供述証拠等を併せて検討すると、本件テープからは、森助役の供述にいう被告らの本件各暴行にかかる具体的な状況は、これを認めることは困難であり、同助役の右供述に信を措くことはできないといわざるをえない。
(二) 診断書について
ところで、本件においては、森助役の負傷の事実を示す医師の診断書が作成されており、このことは同助役の受傷の事実ひいては被告らによる本件各暴行の事実の存在を示す有力な事実ということができる。
そこで、右診断書の作成経緯について検討する。同助役は、本件出来事の当日及び翌日は医師の診察を受けることもなく平常どおり出勤し、国鉄体操をした後、南局の職員らと兼務職員対策を協議したが、その際今井、堀江両助役は加瀬区長から診察を受けるよう指示されたのに、森助役についてはその指示はなく、同助役からの申出もなかった(1の(三)の(1)に認定の事実)というのである。同助役作成の陳述書(<証拠略>)には、本件出来事当日の午後五時ころ、「右胸と右胸脇がづきんづきん痛み、思わず右手で右の胸脇をかばうように押さえた」との記載があり、仮にそのとおりであったとすれば、右協議の場で同助役からその旨の申告と受診の申出がなかったというのは理解に苦しむところである。そして、本件出来事の翌々日である昭和六一年一一月一二日になって、同助役は初めて医師の診察を受け、右第七肋骨皸裂骨折との病傷名が記載された診断書を作成してもらい、これを南局に提出した。ところで、一般的に肋骨骨折の診断はレントゲン写真で証明できない場合も含めて、他覚的臨床所見で診断してよいことになっており、その所見の主なものは骨折部に限局された圧痛と介達痛〔肋骨が横につながる長い骨であるため、九〇度方向をかえて(例えば前が痛いときは側方から)押さえても、骨折部に痛みを感ずること〕であるが、同助役のカルテには自覚症状である呼吸時痛は記載されているものの、客観的に肋骨骨折を証明する右の他覚的所見は記載されていない(<証拠略>)。レントゲン所見についても、岩波医師は、一週間前後で骨折面が石灰化して白くなり、骨折線が明らかになるとの見解を示している(<証拠略>)が、同助役の年齢を考慮すると、一般論として一週間前後で石灰化して白く見えるとも考えにくいし、ましてや受傷後二日で白く見えるとすればそれは当該受傷による骨折線とは考えられない(<証拠略>)。しかも、同助役は診察に際し「胸が痛い。」等と訴えたものの受傷の原因・経過等は告げなかったこと、岩波医師は、同助役の主訴及びレントゲン写真(一一月一二日撮影)で右第七肋骨にヒビらしい白い線が見え、一般的に一週間前後経過すると骨折面が石灰化して白くなり骨折線が明らかになると考えたこと、同助役から第三者加害等と聞かされず、会社を休むために必要な一般的な診断書と思ったことから、いつ受傷したか不明で診断も不確実だったものの拡大解釈して診断書記載の診断をしたこと、同医師としては、第三者加害ならばもっと厳密な検査及び診断が必要であると考えており、警察からの電話や新聞報道などで本件事件を知って、同助役にだまされたと思った旨述べていることが認められるのである(<証拠略>)。
以上の事実からみれば、右診断書の記載内容をそのとおりには信用することができず、したがって、これに同助役の供述を併せても、昭和六三(ママ)年一一月一二日の受診の時点で、同助役に肋骨骨折の事実があったと認めるには足りない。また、胸部打撲についても、その他覚的所見としては圧痛、腫脹、発赤、皮下出血などが認められるのが通常であるが、同助役のカルテの初診時の欄にはいずれの記載もないのであって(<証拠略>)、胸部打撲の事実の存在も認めがたい。そうすると、原告主張の被告らの本件各暴行が同助役の身体に遺した痕跡を認めうる客観的証拠はないことに帰する。
(三) 以上、検討したところによると、原告主張にそう森助役の供述は、その重要な部分において客観的裏付けを欠くか、客観的事実に符合しないものであって、信用することができない。そして、他に藍が昭和六一年一一月一〇日森助役に対し、「胸部を手の平で数回強く突き、暴力をふるったこと」及び岡本が同日森助役に対し、「顔に唾をとばしながら肘で胸を強く突く暴力をふるったこと」を認めるに足りる証拠はない。なお、岡本が同助役の顔に「唾を飛ばし」たとの点については、同助役作成の陳述書(<証拠略>)において、「自分の顔を私の顔に近づけ、唾を私の顔に飛ばしながら『就(ママ)業時刻の八時二〇分の根拠を示せ。』と腕組みした肘で私の胸を突きながら怒鳴るので」と表現されているように、唾を吐きかけたというものではなく、口角泡を飛ばすとの例えにある如く、激しい言葉の遣り取りの際に唾がかかったというものであって、これをもって暴行とか暴力と評価することはできない。
3 ところで、被告らに対する各処分通知書に処分事由として記載されているのは昭和六三年一一月一〇日における前記第二の一の1の(二)の(1)及び(2)掲記の管理者(森助役)に対する暴行であり(<証拠略>)、本件各処分当時南局総務部長として同局管下の職員の人事関係・要員施策・労使交渉の責任者であった(<証拠略>)力丸(ママ)周一郎が、刑事事件において、少なくとも管理者に暴行を加えたことは許される行為ではない旨証言し(<証拠略>)、仮処分事件においても、個々の暴力行為が助役らの現認報告書において特定していること、その暴行が意図的で積極的なものであって、白昼、その直属の上司に対する暴力行為として断じて許されないものであることなどから、就業規則上も過去の国鉄における懲戒処分量定においても上司に対する暴力行為が懲戒免職相当であることが明白であることから、一一月一〇日の森助役に対する暴力行為だけで懲戒免職に、その他の職員に対しては、右の三日間におけるそれぞれの者の当局側で認定できた事実行為の軽重に応じて処分の量定を決めた旨述べ(<証拠略>)、抗議や詰問、小競り合いに加わった他の兼務職員のうち暴行をしたとされていない者に対する処分は、停職または減給にとどまっていること(<証拠略>)等からみて、被告らに対する本件各処分の理由は、各処分通知書記載の本件各暴行であって、右の三日間の一連の行為を非違行為であるとして、これをその理由とするものではないと認められる。
原告は、原告主張の被告らの本件各暴行は、管理者の業務命令に従わず意のままに職場秩序を支配しようとする被告らに対し、管理者が正当な業務上の指示に従わせようとしたのに対して、被告らが主導的に公然とその管理者に集団で暴力行為に及んだものであり、多数の職員を擁して経営の合理化施策、職場規律の厳正施策に取り組んでいた当時の国鉄における職場規律の確保の観点から看過できない極めて悪質な事案であると主張する。しかし、原告は右の三日間の経緯を重視するものの、結局は、本件各処分の理由とされた本件各暴行以外の一連の行為を本件各処分の理由として主張するものではなく、そうであれば、本件各処分の理由とされた本件各暴行の存在が認められない以上、本件各処分は、その処分事由を欠き、無効といわざるをえない。
4 したがって、被告らについて基準規程一六条の一及び四号に該当する事由は認められないので、国鉄と被告らとの間の宿舎利用関係が終了したとはいえず、国鉄が被告らに対する本件各宿舎の明渡請求権を取得したとは認められない。
第四結論
以上の認定及び判断の結果によると、その他の争点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないから、これを棄却すべきである。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡邉等 裁判官 間史恵 裁判官木下秀樹は、転補のため、署名捺印することができない。裁判長裁判官 渡邉等)
物件目録
一 所在 横浜市西区(以下、略)
家屋番号 五五番の四
鉄筋コンクリート造陸屋根四階建共同住宅のうち
二階 一二六号室部分(床面積 四四・一〇平方メートル)
二 所在 川崎市幸区(以下、略)
家屋番号 九四〇番一の二
鉄筋コンクリート造陸屋根五階建共同住宅のうち
一階 一〇三号室部分(床面積 六一・二一平方メートル)